広報誌「上野」Vol.0
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創立百十四年個性を育む教育を上野で上野にあることの魅力「自覚」を旨として個性を育てる伝統音楽を軸に総合的な教育機関に発展Q.この学園広報誌の名称はそのものずばりの「上野」です。特別な思いがあるのですか。と。これが上野学園の大きな魅力の一つです。館や博物館が数多く点在し、老舗のコンサートホールである東京文化会館や国立の東京藝術大学もあります。昔から文化、芸術、観光の一大中心地として存在し続けており、一流の芸を披露し合っています。ク・パラリンピックを見すえて、世界最化の杜」新構想が官民学一体で推進されています。上野学園は私学教育機関の中で唯一この構想のメンバーとして、割を担っています。とで組織されている「上野の山文化ゾーン連絡協議会」では、本学の石橋メモリアルホールも上野界隈の文化施設の一つとして参加しています。毎年秋には講演会シリーズの一環として、本上野という地にキャンパスがあるこ上野には、何よりまず上野公園があり、そこには日本を代表する美術術家が集い、互いに競合し、その才能また、2020年の東京オリンピッ高水準の芸術都市を目指す上野「文上野の魅力を世界に発信していく役さらに台東区のイニシアティブのも学教員によるレクチャーコンサートなどを企画しています。Q.上野の街には庶民的な魅力もありますよね。芸術、文化の中心地であるとともに、商工業も盛んで、コミュニティーがしっかり機能している土地柄です。若者が人の温かみを感じながら心身がバランスよく成長できる街だと思います。上野学園も、地元の皆さまに支えられながら100年以上の歴史を刻み続けてくることができました。Q.上野学園は教育理念に「自覚」を掲げています。上野学園は1904(明治37)年に上野女学校として創立され、6年後に上野高等女学校となりました。文明開化で女性の地位が向上しつつあったのに、日露戦争が始まった頃から、家父長への服従を美徳とする風潮が出てきていたそうです。創立者の石橋藏五郎は、この風潮             4に批判的で、女性が自分の才能に気付き、磨き、それを社会や家庭で発揮し、自分に誇りを持つべきだと説きました。自由や個性を重視する藏五郎は、自ら考え、目覚め、創造することこそ人の本分であり、そうした「自覚」によって自分の個性を活かすことができるのだ、と言っています。の精神であり、教育理念として114年にわたって受け継がれてきたわけです。強いメッセージでしたが、これはダイバーシティ(多様性)に価値を置く21世紀において、より一層の輝きを放つ考え方だと思います。Q.創立当初はどのような授業をしていたのですか。音楽も教えていたのですか。の授業数に制限がありましたが、上野女学校においては家政以外の授業も重視し、補講などによって、男子中学校に劣らない英語や理科、地理、歴史などを教えていました。さらに体位向上・健康増進のために、体育や保健衛生教育を取り入れました。であった楽器やレコードをそろえ、音楽教育に力を入れました。学芸披露が年に数回行われ、一般の音楽家を招いての演奏会も主催していたそうです。これが、現在の上野学園が誇る高度な音楽教育につながっています。アですね。後輩の私どもも負けてはいられません。Q.女学校に始まる学校が現在のような姿になるまでにはどのような道のこの「自覚」こそが上野学園の建学創立当初は、女性の教育に向けた当時の女学校では法令で家政以外そして情操教育です。当時は稀少とにかくチャレンジングで、パイオニ

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